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 2,001年12月27日(木)
 一年間を振り返って
 9月11日(火)に発生したアメリカ同時多発テロは、未だに其の傷跡を広げて世界中を巻き込んでいる。戦争と言う言葉をこんなに身近に感じた事は無かった。何時まで続けるのだろうか?二度と起きて欲しく無い出来事である。私の此の一年間を振り返って見て一番良かったと思う事は、hpで皆さんと出会い、色々な事を学ばせて頂いた事に尽きると思います。「一つの物事に対して、こういう考え方も有るんだな。」と、一条先生の研究や、伝言板や掲示板を通じて学ばせて頂きました。。一方的な考え方に成りがちだった私には、皆さんの温かいお言葉は、言葉では言い表す事が出来ない程有り難い物でした。心、想い、思いが人間として生まれて来た私達にとって、どれ程大切な物なのか。流行や偽りに惑わせられるのは自分に甘えが有るからだと思います。一条先生の言われる様に、「個々の精進に終わりは無く、生活の中で自然に稽古もし、心の精進につとめる」・・・生涯稽古に徹して此からの一日一日を送って行きたいと思います。一条先生、皆さん、今年一年間本当に有り難う御座いました。来年も宜しくお願い致します。

 2,001年12月3日(月)
 双子座流星群
 流星が飛んだ後、極微細な燃えかすが空を漂い地上に降りて来ます。専門用語で「宇宙塵」と言いますが、クリスマスの頃、此の宇宙塵が「核」と成って雪の結晶と成り地上の気温が低ければ雪に成って降って来ると言われています。この頃降る雪は、流れ星の欠片を抱いて降りて来ると言うロマンチックな逸話が有ります。此の双子座流星群は、今月14日から15日、ほぼ一夜中見る事が出来ます。一時間当たりに飛ぶ流星の数では圧倒的に多く、体感的には前回の獅子座流星群の二倍は数えられる様です。流れ星のシャワーに沢山「夢」を託してみたい。皆さんはどんな「夢」を託してみますか?

 2,001年11月14日(水)
 自分が生まれて来た意味
 今までに何度と無く、「自分は、どうしてこの世に生まれて来たのだろう?」と思った事が有る。考えれば考える程分からなく成っていった。良い会社に就職して、結婚し家庭を持ち子供に恵まれて、平和な毎日を過ごして行く。自分がこの世に生まれて来た意味(役目と言ったら可笑しいだろうか?)を悟るのと悟らないとでは、生活をして行くうえでも大きく違って来ると思う。物の考え方や人とのお付き合いも大切で有ると思う。もしかしたら、このまま何も悟らずに終わって仕舞うのだろうか?いや私も皆さんの様に「輝きの世界」に向かって歩んで行きたい。

 2,001年10月15日(月)
 歯止め 
 近年「環境に優しい・・・」とか、「地球、人に優しい・・・」と言う言葉をよく耳にする様に成った。塵を作り続けて来た人類が、此処に来て現在の地球や人類の事を振り返っている。企業が発展して行く為に、環境や人間関係、食生活と言う一番大切な物をすっかり置き去りにして仕舞ったのでは無いだろうか?何でも手に入る便利さに甘えて、周囲を見る「目」が無くなったのだろうか?地球も人間も病んでいる。食生活、環境問題、人間関係など、非常識が常識に成って仕舞っている今の世の中に、直ぐに「歯止め」をしなければ、私達や子供達に未来は無いのではないだろうか?私達は此からも生きていかなければいけない。世界中の人が幸せに楽しく生活出来る様に・・・。夢の有る毎日が過ごせる様に・・・。鳥が自由に空を飛ぶ様に・・・!

 2,001年9月9日(日)
 免状
 私には二人の子供が居る。二人とも男の子で有るが、本当はどちらか一人女の子が欲しかった。でも、こればかりは授かり物だから仕方無い。長男は、顔は私に似ているが、性格は女房に似ている。逆に次男は、顔は女房に似ているが、性格は私に似ている。私の性格は、気が短く、物事に長く集中する事が出来ない。同じ事を何度も言う。失敗した時に人のせいにして仕舞う部分が有る。女房の性格は、一度決めた事に対しては、時間が掛っても最後までやり通す。我が家は、一条先生に空手や研究会、又色々な面でお世話に成っている。女房は神霊学、骨法の免状、長男は空手で初段の免状、次男は先日4級の免状を一条先生より戴いた。苦労して努力したからこそ戴ける免状!3人にはもっと上を目指して欲しい。其れなりの苦労は伴うと思うが「夢」を持って頑張って欲しいと思う。一条先生や全国の皆さんが応援して下さっている事を、何時どんな時も忘れないで・・・!

 2,001年9月2日(日)
 
 小さい頃の私の夢は、野球の選手に成る事だった。現在のプロ野球の監督が、まだ現役でプレーをしている頃で有る。中学、高校に進むにつれて「夢」に対しての意識が薄れて来た。夢よりも、「自分は此からどうやってお金を稼ぎ、結婚をして家庭を持とうか?」と思い続けていた。生活に追われて「夢」を本当に忘れて仕舞いそうに成った。私は23年間、矢沢永吉のコンサートに行き続けて、何時か家族4人で日本武道館にコンサートを見に行きたいと思っていたが、其れも3年前に実現出来た。其の時は、夢が叶った嬉しさの為かよく解らなかったが、一昨年位から、自分の矢沢永吉に対する気持ちに疑問を持ち始めた。「自分だけ盛り上がって良いの?チケット取れない人だって何人かいるんだぞ。自分が一回我慢すれば、他の人が見れるじゃん」・・・・・。「此だな」、自分だけ楽しむのなんて「夢」じゃない。みんなで喜び、楽しみ、分かち合う事が夢ではないのだろうか?自分優先を遣り続けていたら「夢」なんて二度と出会う事も触れる事も無かっただろう。何時までも夢を追い続けて行きたい。色、言葉、音楽、想い、光・・・・!

 

 

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