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 2,003年10月29日(水)
 叱る
 叱る事ってどう言う事だろうか?本人を目の前にして、目の前の状況や自分の感情の高まりを押さえ切れずに機関銃の様に相手に言葉をぶつけて行く。私は殆ど怒らないと言うよりも怒り方を知らない、怒る資格が無いと言った方が良いのかも知れ無い。怒ると言う文字には女と心と言う文字が含まれている。どう言う事だろうと私なりに考えて見た。妊娠して子供はお母さんのお腹の中で愛情を一杯受けて少しずつ成長して行く。お母さんの喜怒哀楽を直接感じるお腹の子供達は、お腹の中から外界の様子をしっかり見ている。男の人の愛情も感じると思うが、一心一体と成って居るお母さんと子供の方が強いと思う。お母さんは死ぬ程(私は男なので分から無いが!)の痛みを堪え、子供も頑張って此の世に生まれて来る。此の過程はお母さんと子供だけにしか味わえない過程で有る。お母さんも子供も痛みの中で男の人では分から無い秘密の何かをお互いに感じているのでは無いだろうか?同じ「叱る」にしても男の人が叱るのと女の人が叱るのでは、子供達も感じ方が違うのでは無いだろうか?
 ももっちさんの10月24日(金)の「正食日記」に、「 叱ると言う事は、一見突き放して居る様に見えても心まで突き放して居ない慈しみです。」と言う文章が有ります。叱ると言う行為の奥には、叱る側の隠された(実際には隠されて居ないと思う)愛情・気付きが必ず含まれている。其の愛情や気付きを叱られた本人が気付いた時に、叱る側も叱られる側も「真(神・心・親)の愛情」を お互いに感じるのでは無いだろうか?
 ももっちさん、素晴らしい文章を有難う御座いました!

 2,003年10月23日(木)
 
 何かの縁で奈津子と知り合った。そして一条先生(聖士会館)や皆さんと巡り会う事が出来た。一日に何度も一条先生や家族、聖士会館に集まる皆さんの事を思い浮かべる。みんなが幸せに成る事・上手く行く事を考えたい。
 どんな時も心を輝かせて、聖士会館の絆・家族の絆を更に強いものにして行きたい!
 
 2,003年10月3日(水)
 仕事でのトラブルと姿勢
 会社に着いて仕事を始めると何やら慌ただしい雰囲気が伝わって来た。部長さんが、「昨日、此の製品を出荷したのは君か?」と尋ねて来た。「はい、そうですが何か有ったのですか?」と答えた。同じ10桁の品番で製品に成る前の物(中間品)が客先(日野羽村)に行って仕舞ったとの事だった。確かに品番を確認してラインの班長さんに確認まで取ったのだが、間違っている事には変わり無い。豊橋工場の重役さん・部長さんに謝罪をした。「赤川君、起きて仕舞った事は仕方無い。くよくよして事故を起こしたら行け無いから気を付けて頑張ってくれよ!」と言われたが、私は立ち直れ無い位注意を受けると思っていた。其の後、検査係の係長さんと一時間程今回の件や仕事に対する姿勢や考え方について話しを交わした。係長さんの様に本当に会社の為の事を思っている人達ばかりなら良いのだが実際は違う。足の引っ張り合いや利己主義的な人間で集団を作り真面目に遣っている人達の妨げを堂々として来る。
 私の様な間違いを他の人が二度と起こさ無い様に、誰もが遣り易く作業が出来る様に此から作業改善を精一杯して行きたいと思う。私は利己主義的な人間を更正させる事は出来無いかも知れ無いが、今の私の仕事を誰もが安心して出来る様にしたい。

 2,003年9月21日(日)
 
 一週間位前から両手の指全体と左足の側面と裏側に水泡が出来て仕舞った。 携帯電話で撮った写真を一条先生(総本部)に送り診断をして頂いた。
 診断の結果は、「白癬菌:水虫」だった。普段汗を掻かない上に水分の摂取過多、少しの気の緩みから指全体に広がって仕舞った。指を動かすと痛痒く少し嫌な匂いもしてして来る。温めた酢の中に殺菌の為に指を入れると飛び上がる程痛い。其の後に「かにす」を塗り、肝臓と腎臓に里芋湿布を施す。少し前に痛風で苦しんだばかりなのに、今度は白癬菌水虫で苦しんでいる。「喉元を過ぎれば熱さを忘れる。」と言う言葉が有るが、今の自分が正しく其れだ。何とも情け無い。 

 
 2,003年9月17日(水)
 異常の目
 9月15日(月)に重役・班長さんより緊急に作業変更を依頼された。
 現在其の仕事(出荷作業)をしている人が今月に入って品違い等で連続して客先に迷惑を掛けている為、我が社として客先に対しての対応策?らしい。同じ一つの仕事でも人に因って遣り方が違うのは仕方無い。然し有る程度遣っていると、「此処が遣り難い、此処をこうしたら遣り易く成る、・・・。」と感じて来る。我々の様な一般社員は、常に部品や製品、品質に対して「異常」の目を光らせていなければ成らない。然し、「異常を発見する目」は、「異常を見逃す目・異常を常識化する目」と移りつつ有る。真実を指摘すれば煙たがれたり、逆ギレされる。会社内で其の様な行為をされるのは構わないが、客先や市場に於いては絶対に許されるべき事では無い。
 其の非常識な行動や言動をする人は、挨拶も出来無いとか一寸したルールも守れ無い人が大半を占めている。同じ仕事をするなら周りの人に喜んで貰える様な仕事をしたい。変なプライドや拘り、足の引っ張り合いで良い製品や仕事など絶対に出来無い。


 2,003年6月30日(月)
 
痛風
 6月26日(木)の明け方に左足の裏の痛みで目が覚めた。
 「何処かでぶつけた訳でも無いのに、何故痛いのだろう?」と最初は軽く考えていた。 会社に行き仕事を始め、二時間を過ぎた頃から痛みが段々増して来た。電動運搬車の乗り降りやラインへの部品投入をする度に左足と腰に痛みが走った。毎年此の時期に体調を崩す私だが、何時もと違う症状に戸惑った。
 其の日は左足に聖士会館湿布をして休み、次の日に一条先生に診断・御指導をして頂いた。「痛風の反応が有る。肝臓・腎臓・脾臓・腰も悪いので日曜日迄断食をする様に!」 自宅に帰り奈津子に知らせて、早速里芋湿布での手当てと断食を始めた。左足・肝臓・腎臓・脾臓への湿布は奈津子が遣ってくれた。断食を行っていて空腹感から来る肉体的や精神的のだるさの中に於いて気が付いて見ると、奈津子も私と同じ様に断食をしている。「お母さんは食べた方が良いよ!」と言うと、「私は自分の為に遣っているから・・・。」と返事が返って来た。確かに自分の為かも知れ無いが、私は奈津子に其れ以上の言葉は言え無かったが、奈津子の気持ちが嬉しかった。
 「痛風」と言うのは、様々な合併症を引き起こし痛みも最強の痛みと聞いている。
 風が身体に当たっても痛い痛風。風は自然で有り、其の自然を心地良いと感じるべき人間の身体が全く逆の「痛い」と感ずるのは、神様からの警告だろう。戦争やテロで罪も無い人が身体の一部を失うのとは訳が違う。自分の欲の儘に遣り続けて来た結果だと思う。神様から地獄魔界行きの切符を差し出されたが、絶対に受け取る訳には行か無い。自然を自然に感じ取る事が出来る身体に必ず戻したい。

 2,003年6月20日(金)
 聖天仁大神様と一条先生の遠隔操作のお陰を読んで
 聖士会館伝言板にジャーナリストさんが、「聖天仁大神様と
一条先生の遠隔操作のお陰で」というタイトルで書き込みが有った。
 戦地での生々しい御報告は、私には想像も付かない。目を覆いたく成ったり、逃げ出したく成る戦場に於いてジャーナリストさんが御無事で居られたのは聖天仁大神様と
一条先生の遠隔操作のお陰で有り、ジャーナリストさんの正しい食生活と平和を心から願う綺麗な心、聖士会館に集まる皆さんの温かい心が有ったからだと思います。
 超利己主義な人間が遣りたい放題に遣っている今の世の中に於いては、犯罪や喧嘩、罵り合い、恨みが溢れている。此位の悪事ならの積み重ねがとんでも無い事態を招いて仕舞う。まさに今の世の中がそうでは無いだろうか?
 聖天仁大神様と
一条先生聖士会館に集まる皆さんの様に綺麗な心に包まれた世界が聖士会館を中心に広がる事を信じています。又ジャーナリストさんの心の痛みが早く取れる様にお祈り致します。

 2,003年6月19日(木)
 光の糸
 目に見える物(もの)や目で確認出来る物(もの)、目では確認出来無いけれども心や身体で感じる事が出来る物(もの)が有ると思います。其れは言葉や仕草に因って何倍も強調されて問い掛けて来る。其の問い掛けに気付き感じる事が出来れば、其の人の思い(想い)の尊さや愛情の深さを其れ以上に身体全体で受け止める事が出来ると思います。
 近過ぎるから、言葉に出さ無いから感じ無いかも知れ無い。「見え無い糸」は有るかも知れ無い。赤い糸の伝説の糸は、「信じ合える心の光の糸」の様な気がする。

 2,003年4月8日(火)
 
鏡の中と外の自分
 
鏡の前に立ち自分を見つめる。痩せていた頃の自分と今の自分を比較した。一番痩せていた頃は体重が57sだったが、現在は70sも有る。原因は何だろうか?と考えると水分(ビール・コーヒー)の摂取過多、運動不足が考えられる。其れに加え此の体重増加は、自分に対する心の隙、人に対する思いやりの薄れでは無いかと思う。人を責めたり人を批判すると言う事は、結局は自分に甘いと言う事で有る。今の自分の周りには何人もの違った「自分」が存在して居る様に思える。大切なものを無くしてから気付いても遅い。今私の前に立ちはだかる厚くて頑丈な壁は簡単には乗り越えれないと思う。我が儘や甘えを追い続けても何も残らない。鏡の中の自分と外の自分の間には、「本当の自分」が居るのだから・・・。

 2,003年2月22日(金)
 一条先生の存在
 
一条先生と知り合って何年に成るだろう?私は以前某学会に入って居た。物心が付いた時から母親に会合に連れて行かれ、朝晩はお経を唱えた。良い事が起きれば仏様の御陰、悪い事が起きればお経の数が足らないとかお布施が足らない、あの人が悪いと周りの学会会員から言われていました。
 奈津子と結婚して聖士会館を知り、
一条先生と巡り会い某学会への不信感は一気に高まりました。真実の医術や現実を目の前で見せてくれる一条先生に対して、嘘や金品を強要する某学会。私は此の儘学会に居る必要は無いと思い、当時の学会幹部に退会連絡をしました。私方の身内の殆どが某学会の会員で有り、前代未聞の私の退会に母親や親戚が私を見る目が変わったのは言う迄も有りません。其れは今現在も続いています。
 
一条先生と知り合い人生が変わり今迄の自分の遣って来た事を反省しました。何が間違いで有ったかと言う事を一条先生は、「気付き」に因って教えて下さいました。一条先生と接触された事が有る方ならば一条先生の偉大さはお分かりに成ると思います。然し、近いが故に甘えて仕舞うと言う私の欠点が有ります。恥ずかしい事ですが此も現実です。一条先生聖士会館聖士会館に集まる皆さんは、私の永遠の宝で有り財産です。甘えを捨てて希望と未来に向かって此からも頑張って行きたいと思います。皆さん、宜しく御願い致します。

 2,003年正月17日(金)
 被災を乗り越えて!
 1995年1月17日未明、布団の中にいると何か不気味な音が迫って来た。一瞬其の音が消えたかと思うと強い地震が来た。数時間が経ってテレビを付けて見ると阪神・淡路地方が火の海に成っている様子が写し出されていたが、まるで地獄を見ているかの様だった。
 あの震災から8年目を迎え様としているが、当時小学六年生だった子供達が、今年成人式を迎える。インタビューの人が成人式を迎える人に、「どんな仕事に就きたいですか?」と聞いていた。僅か数人へのインタビューだったけれども、どの人も「人の役に立つ仕事、人を助ける仕事」と答えていた。何をして良いのか分から無かったあの時に、手を差し延べてくれた事を今年成人式を迎える人は忘れ無かったのです。此の様な素晴らしい人達に未来は明るいと思います。
 震災から8年が経ちましたが、亡くなられた方の御冥福を心よりお祈り致します。

 2,003年正月15日(水)
 ビームライトプログラムのフルモデルチェンジ
 ビームライトプログラムのフルモデルチェンジおめでとう御座います!
 ビームライトプログラムのフルモデルチェンジがされる度に色々な機能も付け加えられ、私達の生活には無くては成らない大切なプログラムに成っています。今回のビームライトプログラムのフルモデルチェンジは、スキャナーで取り込んだ情報の解析、感情や思考の読み取り機能のアップ、願望成就機能のアップ、思考の暴走等のセキュリティー強化、身体機能の監視と生体エネルギーの補正実行、老化防止等の機能アップとあらゆる面に於いてビームライトプログラムの進化を為されました。一条先生の研究やビームライトプログラムのフルモデルチェンジは、何処から生まれて来るのだろうと何時も感じて仕舞います。身体面、精神面、其れを取り巻く周りの環境や状況全てを最高の状態に持って行く不思議な力を感じます。身体の保水効果や若返り効果、想いの機能のアップなどの御報告が有りましたが、どの御報告を読ませて頂いても素晴らしい御報告ばかりです。其れ程一条先生のビームライトプログラムは私達の生活に密着したもので有り、無くては成らないものだと思います。素晴らしい機能に満ち溢れた一条先生のビームライトプログラムのフルモデルチェンジの効果を色々と感じて行きたいと思います。

 2,003年正月5日(日)
 御年始
 皆さん、新年明けましておめでとう御座います。
 旅行、断食から始まった私と奈津子。些細な欲を捨てる事から始める事は、常日頃水分過多の私にとっては、かなり辛いものでした。私は二日、奈津子は三日でしたが、奈津子の精神力、気合いの入れ方には私とは違う何かを感じざるを得ませんでした。振ら付く身体の状態にも拘わらず家事をこなし、web pageの更新の原稿を書いている。私は身体が怠くて炬燵に横に成って居ると言うのに・・・。何処からそんな「力」が出て来るのだろうか?
 二日間の断食が終わり最初に食べた「ムソーの玄米きり餅」は最高に美味しかった。食物を口に入れられる事、噛みしめ味わう事の出来る有り難さを改めて気付かせて頂いた。奈津子は私の何倍も其れを感じ取るだろう。苦労した分、辛さに耐えた分以上の喜びを感じ取るだろう。次回断食をする時は、一緒にゴールを迎えたい。
 今年も皆様にとって光輝く年に成られます様にお祈り致します。本年も宜しく御願い致します。


 

 

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